東山魁夷

東山魁夷

東山魁夷(ひがしやまかいい)1908年横浜市に生まれる。

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生い立ち

 横浜で生まれ、神戸で育った魁夷は、父の遊び癖に悩む母を喜ばせたいと、「大きくなったら偉い人になるんだ」と思い続けてきた。自然に恵まれて育った彼は画家になりたいという願望が次第に強まり、反対する父親を渋々承知させ、現在の東京藝術大学日本画科へ入学する。実家が経済的に困窮している時は自ら学費を稼ぎ、卒業後にはドイツへの留学を現実にした。初めは自分の蓄えで渡航、のちには交換留学生の推薦を受けて、2年間の留学生活を送ったのだった。
 家族のためにも早くいい作品を描きたいと焦る魁夷だったが、友人たちが華々しく脚光を浴びる中で彼の作品はなかなか評価を得られなかった。迷いながら日々、自然を眺め、手探りの絵を描いていた彼に訪れた転機は皮肉にも戦争と家族の死であった。
 終戦近くに召集を受けて、爆弾を抱えて敵陣へ飛び込む惨めな訓練の合間に、彼は熊本城へと走らされる。自らの死を眼の前にして眺めたその時の風景に、魁夷の心には今までになかった感動が湧き上がる。「どうしてこれを描かなかったのだろうか。今はもう絵を描くという望みはおろか、生きる希望も無くなったというのに・・・・」と汗と埃にまみれて、彼は泣きながら走り続けた。既に兄を結核で亡くしていたが、続いて戦中に父が、戦後ようやく再生の一歩を踏み出したところで母が、結核で療養中だった弟がそれぞれ他界してしまった。
 やっとのことで再び絵筆を手にしたとき、彼は家族を失い、絶望のどん底にいた。諦念、そして全てあるがままをうつす静かな心境・・・これが結実し、初めて評価を受けたのが、2年後の「残照」であった。戦争のさなか開眼した魁夷の目は、確かに自然の息吹を捉えるようになったのである。

「残照」1947年 東京国立近代美術館所蔵

魁夷の転機

 その後の魁夷の絵は、それまで以上に生命を感じさせるようになる。彼の「色」は反射光を捉えたものではなく、数え切れないほどの生命の存在を「影」として捉え、それを無数に重ねて生まれてくるものである。生きている木々の吐息を、風の匂いを、ひとつひとつつぶさに重ねてゆき、その画面からはさざなみのように命の鼓動が伝わってくる。
 多くの画家たちは光の反射を捉えて描く。魁夷にそれは光を吸収したあとのものの「影」を感じ、描かれたものであろう。魁夷は「影」を捉える目を持った画家だと思う。古来日本に存在した「かさね色目」、彼の色彩にはそれに通ずる感覚がある。

「冬華」1964年 東京国立近代美術館所蔵

世界への挑戦

 日本画家としてその評価を確立した魁夷は、東宮御所や皇居宮殿、唐招提寺障壁画の大作を依頼されるほどになる。その合間に北欧、京都、ドイツ、中国などを旅し自然の姿に感動し、その画風は厚みを増していった。彼の絵には、かつて彼自身が人生で感じた何らかの感情を含んでいる。静かに自然を見つめた時、そこには彼がどこかで経験した、心の風景が投影されるのである。人のあらわれない蝦夷の風景を見たときに感じるほんの僅かな人為はこの感情が風景の中に隠れているからなのだ。心象の風景画・・・それが魁夷の絵であろう。

「白夜行」1965年 東京国立近代美術館所蔵

絵の中の魂

 彼にとって絵を描くことは、「祈り」であるという。運命によって、日本画家に「され」、風景画を「描かされ」ていると彼は言う。自然や人間の営みに対する敬虔な祈りが、彼に絵筆を運ばせる。魁夷にとって描くことは自分の命の昇華であるのだろう。
 人生という長い長い旅路の中で、彼は出会った風景の中に自分の心を見つけ、そして祈った。その絵は決して対象を超えることなく、等身大に描かれているはずなのだが、そこにひそめられた心がどこからともなく湧き出て、私たちの心に共鳴する。

「沼」1993年 長野県信濃美術館東山魁夷館所蔵