向井潤吉

向井潤吉

「海と岩」1960年

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 向井潤吉と言えば、民家の画家として、その名は全国に行き渡っている。民家のシリーズは向井のライフワークとして長く続いた画業であろう。敗戦後の日本が瓦礫の街と化した惨状を見て、農山村の古い家々を今のうちに描いておかなくてはという発想は国土への愛情と伝承の価値認識において、民話を収集した柳田國男や、民具の美を民芸として評価した柳宗悦と相通じるものを私たちに思わせる。向井は京都に生まれ、18歳の時二科展第6回展に初入選。その後、兵役を経て大阪の高島屋に勤務する間、百撰会の図案懸賞で一等と二等を独り占めしたほど優秀であった。
 そして1927年、26歳の時に渡仏。ルーブルで初期の名作模写に着手。三年ほどの滞仏期に描いた模写は質量ともに日本最大、最高のものと言っていいだろう。この間、風景画はただ一点。これもまた想像を絶した希少な記録であろう。
 実は努力家の向井は模写に当てられる長い昼間の時間の上に、もう一つ自分の創作を試みる時間外労働を自らに課していたのである。模写では果たせない画家のイマジネーションを夜の時間において羽ばたかせるのだ。これを「勝手に飛び回る想念」といった。だが自己に厳しい向井はこの想念から得た自作の絵をウソの絵だとして結局は退ける。以後再び想念の妄動を許さず、そのような画魂がのち図らずも民家の主題を得て、制作の情熱を昇華させることになる。民家を描き始める直前の頃だったが、思いがけない不審火によって貴重な模写を含む十数点の作品を焼損した。しかしこの不意打ちの打撃が、逆に向井を奮起させることになる。
 向井の絵は西欧の古典に学んだ技法を底辺に置き、日本の風土に適合する創意の技法をこれに重ねたものといえるだろう。そしてそれは手の作業に留まらず、対象を精細に観る目の訓練を古典から学んだ。これが向井の精密描法となる。特に民家風景に現れる野草や枝梢の表現に注目すべきである。向井自身の言葉を逆手に取っていれば、これらの草はヘナヘナであるどころか、勢いよく大地から萌え出し、あざやかに天空を切って、その生命力を明らかにしているのだ。一方、藁や茅の草屋根は、ふんわりした柔らかさと、どっぷりした量感を合わせて、これまた確固たる存在感を伝えている。
 向井はよく「前衛」ではなく「後衛」であると自称する。だが前衛も後衛も50年、100年経って初めてその価値が不滅であるか否かが証明されることが多い。高度成長は工業文明だけに限らず、美術文化にも及んでいた。この時代に率先して後衛を自認する勇気と自信は尊い。これによって民家が標本や絵図に、また自然の生き写しのコピーとはならずに、新鮮に息吹く創造の絵画と化して蘇るのだ。

「聚落」1966年

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