荻須高徳

荻須高徳

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生い立ち

 

 高徳は1901年、愛知県中島郡(現稲沢市)の地主の子として生まれる。愛知県立第三中を経て、1921年に上京。小石川にあった川端画学校に入り、藤島武二に師事する。1922年には東京美術学校西洋画科に入学。1927年に同校を卒業すると、9月に渡仏。1928年、佐伯祐三らとモラン写生旅行を行い、佐伯の死に立ち会う。

画家としての開花

 

 荻須の画家としての最初の成功は1928年のサロン・ドートンヌ入選であった。1934年には最初の個展をジュネーブで開催。この頃から、作風も佐伯と見分けの付かないようなものから、落ち着いた色調、静寂さを備えたものへと変化していく。サロン・ドートンヌ会員に推挙され、フランスの地位を確立したかに見えたが、1940年に戦況悪化のため一時帰国を余儀なくされる。この時サロン・ドートンヌ出品作がパリ市買い上げとなった。帰国後は新制作派協会の会員となる。

二度目のフランス渡航

 

 終戦後の1948年、日本人画家として戦後初めてフランス入国を許可され再び渡仏。以後死去するまでパリで制作活動を行うことになる。1982年にはフランス国立造幣局が荻須高徳の肖像を浮彫にしたメダイユを発行。後に同国大統領となるシラクパリ市長は「最もフランス的な日本人」と彼を評した。同年、文化功労者に選定されたのを受けて、10年ぶりに帰国したのが祖国の地を踏む最後となった。

最期

 

  1986年10月14日、パリのアトリエで制作中に倒れ死去。84歳だった。死の1週間前ほどに同年の文化勲章受章が内定していたため、11月3日には死去日にさかのぼって同賞が授与された。墓はパリのモンマルトル墓地にある。